昼休み’74

高校時代の昼休みは、弁当は昼までに済ましているので学校近くの溜り場に行く。

皆はと言うと、自分たちの時代はフォークソングブームで誰もがギターを持ち
休み時間や放課後には歌が聞こえてくる。
吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげる、岡林信康、かぐや姫、ガロ、ボブ・ディラン等々。

また、放課後はバンド仲間と溜り場へ行く奴も。

自分はそんなの関係なく、昼休みの溜り場で煙草の煙が充満する部屋で
オートバイ雑誌とにらみ合う。

当時、自分で手が届きそうなオートバイで一番欲しかったのがSL175:16万9000



兄貴分のSL350は21万7000と手が出ない。
ナナハンなんか高嶺の花だ。結局は10万の中古CB450K1となる。



でもやっぱり、誰もの憧れはCB750、発売して間もないZ2だった。
壁にある矢沢永吉率いるキャロルのCB750に乗ったポスターが格好良かった。
シングルジャケットにもなってたか?



この溜り場は2年に入り中退したHの家で、そのHがこれまたCB750K3を買ったのだ。
学校へ行かなかったらCBが買えるのか~と思うくらい
皆あっさりと憧れのオートバイを買う。

このド田舎で同世代が3~4人もCB750に乗っていた。
いつか買ってやる、と誓った昼休みだった。





にほんブログ村 バイクブログ ツーリングへ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
.28 2015 我が青春のオートバイ comment0 trackback0

セーラー服とオートバイ ’74

女子の通学はもっぱら自転車であったが、
自分たちの年代から女子もオートバイで通学するようになった。

女子の場合オートバイと言っても主に原付で、
当時はミニトレ、シャリーとかチャッピー、ジッピー等があったがカブ系が多かった。
女子の皆がオートバイ通学をしていた訳じゃなく、3年間自転車通学の子もいた。

また、便乗組もいて遅く家を出る頃決まって電話してくる子がいた。
「いつものとこに居るから今日乗せてって」ガシャ!
ズボンも履かずセーラー服のまま横乗りするから嫌だったが、放って行くわけにいかない。
今では考えられないが、当然ヘルメットも着用しない。

ある日の放課後、彼氏の居る女子が自分に話し掛けてきた。
その彼氏もまたCB750fourに乗っていた。

彼女は保育園からずっと一緒の可愛らしい子だがあまり話をすることはなかった。
話を聞くと、同級生の女子Fが自分の彼氏と会うようだからそれを阻止したい。
だからその場所へ乗せて行ってほしい。という。

s-セーラー服とオートバイ

了解して乗せて行ったと思うが、場所は全く覚えていない。
乗せて行った記憶は間違いなくあるが、状況を覚えていないのだ。
彼女もまた横乗りだ。

卒業して何十年か振りにかで彼女に会った時、
実はあの時、私の彼氏に、親友が別の彼女を紹介し会うという情報が入ったので
阻止しに行きたくて乗せて行ってもらったのだが、
親友にも裏切られ、どうする事も出来ず悲しくなってそのまま河原で泣き佇んでいた。

でも傍らで何も言わずに、オートバイと一緒にいつまでも私を待っていてくれたのが
貴方でした。だから何時か会った時お礼を言わなければと思っていた。

と話してくれて初めて詳しい状況を知ったが、その後彼女を送って行ったのかどうかは
自分も彼女も覚えてない。
それ以来彼女は会う度に、「あの時は有難う。セーラー服と学ランとオートバイ」。
と言って遠い昔の高校生活に話がさかのぼる。


にほんブログ村 バイクブログ ツーリングへ
にほんブログ村

.17 2015 我が青春のオートバイ comment0 trackback0

じゃじゃ馬マッハ3

自分の根本はホンダ車が好きなんだが、CB450は自分に合った感じじゃ無かった。

カワサキが世界最速を目指して開発し、1969年にデビューさせたオートバイがあった。
「じゃじゃ馬」こと500SSマッハ3だ。

カワサキはそれまでに2サイクルマシンではA1、A7があり人気もあっが、
このマッハⅢデビューでかすんでしまった。

2サイクル3気筒そのスペックは、最大出力60ps、最高速度200km/h、最大トルク5.85kg
乾燥重量174kgと軽い車体を0~400m12.4secでカッ飛ぶ。排気量比だとCB750K0を凌ぐ。
当時の車両価格は軽四より9万円ほど安い29万8千円だった。
現在初期型のマッハを買うと当時の6~10倍はする(驚)。

s-500ss.jpg

高校2年の時、CBの調子が悪いので地元の修理屋で見てもらう事にした。
足が無くなるので困ってたら、店のオーナーが「乗るがやったら乗っても構んぞ」と。
店の外の古びた実用車やカブ等が並んでる間にある「白いマッハ」を指差した。
ん?綺麗だし何でこんなとこにマッハが?
当然、「よっしゃ、CBと交換してくれる?」と言うと、笑い流された。
が、卒業までずっと乗ることとなる。
後に、向かいの同級もCL250から赤いマッハに乗り換えた。

マッハの白煙は有名だ。通学時先頭を走ろうものなら「まっこう、煙幕で走れん!後走ってくれ」
と後続車に大迷惑を掛ける。オイル代も高く付いた記憶がある。
ガソリンは’73当時55円/ℓ程度だった。

通学距離は17kmだったが、田舎の狭小湾曲した道をマッハでカッ飛んでも15分掛かる。
マッハの活躍は通学だけではなかった!

学校行事の遠足やホームマッチ、県体等は貸し切りバスで行くのだが、
自分の場合無視してオートバイで行く。
自分一人居なくても誰も気に掛ける人はいない。それにバスは嫌いだ!
県体は高知市まで行くが、他にオートバイで行く奴は居なくても一人でハイテンション!
40年前の当時は道も悪く高知までは長い道程だがそんなのは関係なかった。

大型の2ストロークマシンは、すべてじゃじゃ馬であったが、
排ガス規制やオイルショックの影響を受け80年までに姿を消すことになる。

変わり種として74年にシングルロータリーエンジンを積んだスズキRE5があった。
つい最近走ってるのを目撃したが、UFOを見るくらい遭遇しない。
発売には至ってないがヤマハにもヤンマーと共同開発の2ローターのオートバイもあったり、
個性あふれたオートバイが沢山あった。

s-500ss.jpg

他にも70年代は多くの名車が登場する。
一部を挙げると70年XS-1、71年GT750、72年Z1、73年750RS(ZⅡ)、74年CB400Four、
79年CBX1000。76年にはスズキ初の4ストローク車GS750が登場し
、その後デビューする名車、KATANAや隼につなげた。

72年には750ssが発売されるも、打倒CBを掲げて73年デビューの750RS(ZⅡ)に埋もれてしまう。
ZⅡは数々の伝説とともに現在でも多くのユーザーを魅了している。


次回はセーラー服とオートバイ’74


にほんブログ村 バイクブログ ツーリングへ
にほんブログ村

.26 2014 我が青春のオートバイ comment0 trackback0

また飛んだ!'73

ふたつ上の兄が、発売されたばかりのヤマハAX125を通学に使っていた。
兄が卒業後もそのAX125が家にあった。

エンジン形式・種類 = 空冷2サイクル2気筒、最高出力 最大トルク = 15ps/8,500rpm 
発売当時価格 = 14万5,000円


本来は自分より1級上の先輩YGだが、中学の時から同級生よりも自分達と居る方が多かった。
自分達の方と馬が合ったのだろう。面白い奴だったが、喧嘩っ早かった。

中間・期末試験時期になると、何時もそこの家に4~5人で溜っていた。
一応試験勉強という名目ではあったが、当然勉強なんかはしない、と言うか出来ない。
案の定、YGは2年からは自分達と同級生になった。勉強しないから当然だ!

話は戻り、YGが家に来ていてオートバイを貸してくれと言う。
免許がないのも知っているが、「あ~構んよ」とAX125を貸した。
家まで乗って帰るというので、とりあえず家まで自分もCBで後を追うことにした。

12~3分後、ミニトレが飛んだ先でまたYGも飛んだ。

山肌に向かい突っ込んだのが飛んだように見えた。
以前のミニトレと同じようにフロントフォークが曲がり車体もかなりのダメージで再起不能状態。

それよりもYGもかなりのダメージを受けている。
ヘルメットは被っていなかったが頭は大丈夫だ。
1kほど先、YGの自宅前が診療所なのでとりあえず連れて行く。
診療所では応急処置で宇和島市立病院に入院することになった。

自分が貸したのがいけなかった、申し訳ない思いばかりでどうする事も出来なかっが、
3週間くらいの入院だったろうか、ケロッとしていつものYG が帰ってきた。

AX125は、そのまま近くの同級生の家に置いたままでどうなったか不明。
いい加減なもんだ。

卒業後も付き合いはあったが、
YGは病魔との戦いもあり40歳過ぎまでの短い付き合いで終わった。

次回はじゃじゃ馬マッハ


にほんブログ村 バイクブログ ツーリングへ
にほんブログ村


.09 2014 我が青春のオートバイ comment0 trackback0

CB450 '73

念願のオートバイの続きで、
どうして此処ホンダSFにあるオートバイを買うことになったのかは全く覚えてない。

オートバイを引き取りに行くのに一番上の兄貴に車で連れて行ってもらった。
現在は実家から宇和島市まで30分くらいで行き着くのだが当時は道も良くなくて3倍の時間が掛っていた。
今はもう使われていないが、当時松野町に抜ける地蔵峠が関門だった。
特に未舗装の屈曲した道をボンネットバスに揺られていくのは苦痛だった。

s-ボンネットバス

念願の自分のオートバイでさぁ~帰るか!
兄が「ヘルメットは?」 「いや、持ってきてない、大丈夫やろ」
SFの前所有者もあきれ顔で、「じゃ、これ持って行っていいよ」と新品のフルフェイス持ってきた。
当時田舎ではフルフェイスは珍しく、戸惑いながら恐縮した。

帰り道、あまり感動はない。
CB450ってこんなもん?
CB750fourの感触・感動があまりにも強すぎる。
1年もしないうちにKAWASAKI マッハⅢ(また書きます)に替わることになる。

s-ボンネットバス

早速翌日からCBで通学。今と違い当時はどんなオートバイでも通学可だった。
高校の自転車・バイク置き場は仮校舎の中に入れていたので、雨の日は快適。
1年の時は1年生全員が、田んぼの中のちょっと離れの仮校舎。
2年から校舎も武道場も新しくなり使わなくなった仮教室が駐輪場になったのだ。

オートバイには入口が狭く段差があり危ないとは思っていた。
すぐ前の田んぼに落ちる奴も居り、色々なドラマのある駐輪場だった。

通学時に一度だけ大転倒をした事がある。
飛んだミニトレの近くで、幸い小学生の列も避け、自分も大した怪我もなく、
アスファルトの上で先を急ぐCBだけをを見送っていた。
あれ以来、現在でも右コーナーはあまり好きではない。


にほんブログ村 バイクブログ ツーリングへ
にほんブログ村

.30 2014 我が青春のオートバイ comment0 trackback0
 HOME 

カレンダー

<
>
- - - - - - -
- 1 2 3 4 56
7 8 9 10 11 1213
14 15 16 17 18 1920
21 22 23 24 25 2627
28 29 30 31 - - -

全記事

プロフィール

まっこう

Author:まっこう
所有したオートバイ
ホンダ:Dax50、XE50、ストリーム50、AX-1、CB450、CB750K2
カワサキ:マッハ3
スズキ:GS400、GT750B2、GSXR1100’92、GSXR1300’05、GSXR1300’07
ヤマハ:メイト、AX125

現所有オートバイ:Ape50、GSXR1300’12

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR